メニュー

谷美智士先生について - 一般財団法人 東方医療振興財団 日本東方医学会

一般財団法人東方医療振興財団

谷美智士先生 略歴

<略年譜>

谷先生顔写真2  1937年    12月11日出生(於:長崎)
 1958年  国立長崎大学医学部入学
 1963年  国立長崎大学大学院入学後、宮崎県立病院にてインターン
 1969年

 神奈川県小田原市立間中病院勤務。東洋医学の権威である

 間中喜雄院長とともに日本初の針麻酔手術に成功

 1973年  日本初の針麻酔による帝王切開に成功 東京青山にクリニツク開業
 1983年

 中国医学の普及を目的とした「財団法人東方医療振興財団」発足、

 専務理事に就任

 1985年

 東京女子医大の要請を受け、同医大漢方専門外来を担当

 (1992年まで)

 1989年  日本東方医学会の会長就任
 1990年  中国の「中西医結合学会」と協力して日本語版専門誌「中西医結合」を発刊
 1991年  ルーマニアを訪問、ボランティアで同国のエイズ幼児治療に乗り出す
 1997年

 財団法人東方医療振興財団理事長に就任 日本代替・相補・伝統医療連合会

(JACT)理事に就任

 1998年

 ルーマニアでのエイズボランティア治療の好成績及び長年の貢献に対して

 ルーマニア政府より感謝状を授与される

 2002年

 カンボジア保健省と協力して、カンボジアで生薬によるエイズ幼児救済

 ボランティア治療を開始

 2006年

 18歳に成長したルーマニアのエイズ児を迎え、第3回エイズ幼児救済

 チャリティーコンサートを開催(東京紀尾井ホール)成功させる。

 収益の全額をエイズ児への援助とした

 2007年

 癌・リウマチ・膠原病・エイズ等の難病医療の更なる有効性を確認し、

 若手医師たちへの伝授を通じて、生体活性治療・BATの拡大を開始する

 2008年  日本東方医学会名誉会長に就任
 2015年  2月28日 永眠


<ご生前の役職>

一般財団法人東方医療振興財団理事長

 日本東方医学会名誉会長

医療法人社団長白会理事長 タニクリニック院長(閉院)

 

<学位>

医学博士(長崎大学医学部大学院研究科)

 

◆谷先生写真集はこちら  

◆研究業績一覧はこちら

 

 

 

谷美智士先生 著書

『婦人科の針治療(蠣崎要:共著)』 自然社(1975)

『ハリの科学99の謎─生命力を引き出す東洋医学三千年の英知』 産報(1975)

『東洋医学でこんなによくなる』 毎日新聞社ミューブックス(1989)

『東洋医学と西洋医学─二つの結合が現代人を救う』 プレジデント社(1991)

『ガンはここまで治る!─東西医学の融合で驚異の成果!!』 プレジデント社(1994)

『東洋医学と西洋医学─伝統と科学の結合が病気を治す』 PHP文庫(1997)

『東洋医学の治す力─鍼が効く生薬が効く』 大和書房(1997)

『新しい東洋医学』 読売新聞社ぶっくれっと(1999)

『未病革命─病は"気"から!』 アスコム(2010)

『ガン、潰瘍性大腸炎、リウマチを治す「食事の8箇条」 ──現代の「食医」が考案した有効率82.3%の新療法』 マキノ出版(2012)

『心配しないで、自閉症は治せる』 世界文化社(2013)

『あきらめるな 病気は治せる。』 アスコム(2013)

谷美智士先生の決意

  

「私が東洋医学に関心を持ったのは、母の病気がきっかけでした」

 

 1963(昭和38)年、長崎大学医学部を卒業し、さらに大学院(医学研究科)に進んだ谷美智士先生は、母の胃ガンを知る。しかし、手術を受けたものの、全身に転移していて、すでに手遅れの状態だった。当時、ガンは不治の病とされ、現代西洋医学では手の施しようのない時代であった。幼いころから女手ひとつで育てられた谷先生は、日増しに激しくなる母親の苦しみをなんとか和らげたい、その一心で母のそばについていた。あるとき、地方の伝統治療師がツボの部分を温める温熱療法をすると、その晩はよく眠れるといって、母はとても喜んだという。

 「その理由が、私にはよくわかりませんでした。ツボへの温熱療法は鍼や灸による治療と原理は同じだというのですが 、鍼灸などの東洋医学についてはまったくの門外漢でした。大学で学んできた西洋医学の常識とは違う世界の話ですが、母がよくなった、痛みが和らいだという以上、そこには何かがあるはずです」

 宮崎県立病院でのインターンを終え、大学病院の勤務医として働きながら、東洋医学や鍼灸の文献に目を通し、各地で開催される鍼灸の学会や研究会、講習会にも出席するようになった。早速、鍼を買い求めて、自分を実験台にして、ツボらしきところに刺してみた。注射針よりはるかに細い「寸六」と呼ばれる和針は、注射針のように皮膚を切る痛みもなく、また出血もなかった。それを母にも試してみると、「気持ちがいい」と喜んでくれたのである。

 1965(昭和40)年、2年あまりにおよぶ闘病を終えた母の死について、谷先生は自著『東洋医学と西洋医学』(PHP文庫、1997年)の中で、次のように語っている。

 

 『この時、私は「我が身をもって母は、私の人生を左右する決定的な契機を残してくれたのだ」と確信したのです。

 末期の母を苦痛から和らげてくれたのは、まぎれもなく東洋医学でした。悔いが残るとすれば、自分の手でもっと本格的な治療に役立てるほど、東洋医学が自分のものになっていなかったことです』

 

 1969(昭和44)年、大学病院を辞した谷先生は、その当時、東洋医学の第一人者として活躍されていた神奈川県小田原市の外科医、間中喜雄先生が院長を務める間中医院の勤務医となり、そこで日本初の鍼麻酔(急性虫垂炎)手術に成功する快挙を成し遂げた。

 その後、谷先生を中心に始められたMSA(medical study of acupuncture 医師による鍼灸治療研究会)の研究・啓発活動を母体として、1983(昭和58)年に厚生省(現厚生労働省)の認可を得て発足した財団法人東方医療振興財団(日本東方医学会)は、愛する母のがんを契機として、東方医学の基礎的研究と臨床治療、東西両医学の融合診療をめざす日本東方医学会の研究・実践活動は、谷美智士先生の決意から生まれたものである。

「谷美智士先生を偲ぶ」(2015年11月15日発行)より

上馬場先生文章  
髙橋先生文章  

「谷美智士先生を偲んで」(『東方医学』Vol.31No.1&2 2015)より

『谷美智士先生のご逝去を悼む』

一般財団法人日本東方医療振興財団 理事長

帝京平成大学ヒューマンケア学部 教授

上馬塲和夫

 

 谷先生のことを初めて知ったのは昭和60年ごろである。私が北里研究所附属東洋医学総合研究所で間中先生や大塚先生、矢数先生、丁先生などから鍼灸と漢方薬理を教えていただいている時、谷先生が日本で初めて鍼麻酔手術をされたことを聴いた時であった。小田原市の間中病院は、私自身も虎の門病院時代から時々当直を頼まれて行っていたこともあり、そこで谷先生が虫垂炎の鍼麻酔をされたと聴いて、東西医学の融合をライフワークとして広島から上京してきた私にとって、東洋医学の威力に胸躍るきもちになったことを記憶している。

 その後谷先生は。さらにルーマニアのエイズの子供たちに東洋医学的治療を施すことで、エイズを寛解させるという快挙もなされ、漢方だけでなく中医学も含む東洋医学の素晴らしい威力を日本や世界中に紹介されてきたパイオニアとなられた。そのような医療活動は、ボランティア活動として、しばらくは継続しておられたようで、日本や中国、さらに世界中のマスコミ関係者にその活動は注目されたことから報道されて、谷先生は東洋医学の大家として日本や中国の著名人達の信頼を獲得された。東洋医学を実践する医師達にとって、谷先生は、日本の東洋医学会をリードされているカリスマ的存在となられた。

 一般臨床の場でも、難病特に関節リウマチから種々の癌、さらには自閉症などを、中医学や漢方医学と鍼灸治療にとどまらず、一般的なハーブなどの食品を使った製剤で確実に治して、多くの患者を救ってこられた。「気」を持つ素材を見つけ調剤する技術は、まさに「神の手をもつ医師」と呼べるもので、その力により、皇室の方々も含めた著名人の患者さんの信頼を得ておられた。そして、その成果を30余年にわたる日本東方医学会にて発表されてきた。そのような東洋医学の深い智慧は、山口先生、下谷先生、長瀬先生、高橋先生、山本先生など東方医学会の高名な医師達には一部受け継がれている。

 谷先生は、亡くなられる前数年間、70代後半にしては容貌も若く、眼力も強くて、ほとんど最初にお会いしたころと変わりない様子には、お会いする度毎に驚きであった。東洋医学を実践されているので、若さや能力を維持されていると私は思っていた。特にここ数年はテノール歌手としての能力を東方医学会の公開講座において披露していただくなど、マルチ能力のカリスマであった。その歌声を、ピアニストである御子女と一緒に参加者の耳を楽しませていただいたのが印象的であった。そのように活動的な状態を維持しながら、ほぼ1か月程度でコロリッと逝ってしまわれたのは、まさに死に方が問題になっている昨今、死に方まで谷先生は素晴らしい姿を見せていただきました。

 これだけのマルチ能力をお持ちで、雲の上の存在であった谷美智士先生が逝かれたことで、残された東方医学会会員は、皆が慙愧に堪えない気持ちでいっぱいである。

 一人で谷先生のようなマルチ能力を代償することができないため、第3代の東方医療振興財団の理事長は、上馬塲が務めながらも執行専任理事として下谷先生、川嶋先生が手分けをして補助し、それを長瀬事務局長がサポートするという体制が、谷先生亡き後にできあがった。また3年前にこれまた早逝された廣瀬東方医学会会長の座も、上馬塲が担当することになっている。決して若返ったわけではないが、このような新しい体制を、最初から日本東方医学会を公的立場でそだてていただいた川口先生、福渡先生などにスーパーバイザーしていただきながら、東方医療振興財団と東方医学会は、谷先生という偉大な舵取りを失いながら、とりあえず船出をすることになった。

 谷先生は、患者のためには、正規の現代医学と中医や漢方、鍼灸とハーブやアロマなども、さらにはインド医学や波動療法さえもこだわることなく活用するという柔軟な姿勢を守ることで、東方医学会をやっておられた。今後、その姿勢は貫きながら、東西の正規な医学と補完代替医療を統合させる活動をすることを継続していく予定である。特に谷先生の残していただいた中医・鍼灸専門資格制度をより発達させ、幅広い東方医学会の活動に芯を持たせるようにする方針である。

 また、これまで谷先生に診ていただいていた患者様には、谷クリニックの副院長であった高橋先生の御尽力で、東銀座タカハシクリニックを開業されているので、そこでこれまでの谷先生とほぼ変わらない治療をうけていただくことができるようになった。

 今後とも、谷先生や間中先生の始められた東方医学会の火をけさないように、人類の医療と保険・福祉に貢献することを希求していくことを考えている。多くの方々のご理解をご協力を引き続きお願いするものである。

 

 

 

『谷 美智士先生を偲んで』

熊本県東方医学研修会会長 長尾 和治

 

谷先生と初めてお会いしたのは、中医学について熊本で講演された時でした。その講演のインパクトをきっかけとして東方医学研修会が誕生し、

25年以上続いていることは昨年の本誌で紹介しました。
谷先生は学問の先達というばかりではなく、宮崎県の出身で、長崎大学卒業という九州人相互の関係もあって、親しくさせて頂きました。
中医学研修旅行の例をあげれば、東方医療振興財団・東方医学会の訪中団長としてばかりではなく、熊本県東方医学研修会独自の訪中団長も

引き受けられました。研修を通じて中国衛生部の谷先生に関する評価と優遇ぶりも実感しました。
谷クリニックの院長として、予約2~3ヶ月待ちの超多忙の中でも、患者を紹介すると快く引き受けて下さいました。個人的にも甥の嫁は他界

される寸前までお世話になり、心から感謝申し上げます。

谷先生はバリトンの美声の持ち主で、独唱ばかりでなく、プロの音楽家との共演を楽しまれる素養を併せ持っておられました。ヴァイオリン奏者の

私の次女達を学会の懇親会に呼んで頂き、その伴奏で美声を披露されたこともありました。
谷先生が身を以て示されたことの一つは、積極性と行動力です。東南アジアの高山の森林に踏み入っての薬草の採取や長白散などの製薬。間中喜雄先生との日本初の鍼麻酔の成功。ルーマニアやカンボジアの現地に飛びこんでのエイズ感染小児の統合医療による治療、自閉症児の治療など枚挙に暇はありません。
先生を見習って、少子高齢社会が進む中、各年齢層を通じて健康で長寿を全うできるだめの援助法を模索中ですが、

谷先生!宜しくお導きください。

 

 

 

『超能力者谷美智士』

東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科 川嶋 朗

 

また一人巨星が落ちてしまいました。
医師向けの鍼灸を中心とした中医学の普及を目的に故間中喜雄先生が創設された医師東洋医学研究会を継がれ、1983年(筆者の北大卒業年)に日本東方医学会の中心に座しておられた谷美智士先生。多くの漢方医が漢方薬に固執する中、ホメオパシーや波動、気功など見えないエネルギーをも認め、言ってみれば日本の統合医療医のパイオニアでした。
近年は、身体のみならず心の治療をてがけておられました。その代表であるBAD療法について、筆者が「この組成は不思議ですが、どのように決めていらっしゃるのでしょうか?」と尋ねたところ、「気なんですよ」とためらいもなくお応えになりました。谷先生には、筆者にはない気を知覚する能力、すなわち超能力が備わっていたのです。
ご自身の超能力に導かれるまま海外にもお出かけになり、国際貢献もされておりました。
この超能力で数々の難病を治してこられた谷先生のご逝去は日本東方医学会のみならず日本の医療界にとって大きな損失です。たとえば、BADのような谷先生でなければ考えつかなかった療法が徐々にでも下火になってしまっては一大事です。谷先生ほどではなくてもある程度それを感じ取れる優秀な医師の出現は待ったなしです。
日本東方医学会は谷先生の教えの下、伝統医学、代替医療、中でも見えないエネルギーに関する学術発表のできる唯一の学会です。日本東方医学会の存続は、まだまだエビデンス至上主義の日本の医療界にあって、大変貴重かつ必須のものと考えます。谷先生のご意思をついで日本東方医学会を護ることが谷先生への1つの供養になると信じています。
他に先生ほどの超能力者はいないものの、その意志を継ぐ我々が、谷先生のため、そして日本の将来のため、日本東方医学会を継続し、第2の谷美智士の出現を待ちたいと思います。
谷先生、ゆっくりお休みください。

 

 

 

『谷先生を偲んで』

一般財団法人 東方医療振興財団 理事 川口 毅

 

 谷先生が急逝されたことを聞いて大変なショックを受けました。東方医学の振興を
ライフワークとし情熱を注がれた先生の熱意のもとに私たちも先生のご指導をいただきながら財団の運営にささやかながら協力させていただきました。先生は千葉大学医学部を卒業され、西洋医学と東洋医学の両方に精通されておられたことも、当財団の活動の幅を広げ多くのお医者さんたちがこの財団の活動に参加できた理由だと思います。
私的なことで恐縮ですが、私が悪性リンパ腫に罹患し日比谷の谷クリニックに受診した時も先生は親身になって診療してくださり、最新の西洋医学にもとづいた治療薬に合わせて免疫を高める漢方薬や特別な飲用水を処方していただき、おかげさまで今日まで発病以来6年間も元気で過ごしております。本当にありがとうございました。
 先生は臨床治療や学会活動だけでなく、新薬の開発・普及や研究から国際的な活動まで幅広く活動され活動され、私たちとしても、とてもこのような活動をすべてはカバーしきれませんができる限り先生の残された遺業を引き継いでいきたいと思います。
幸い上馬場先生が理事長と学会長を引き受けていただけましたので、先生を中心に今後の財団の活動を継続していくつもりです。先生のご冥福をお祈りして送る言葉に代えさせていただきます。

 

 

 

『谷先生を偲んで』

タニクリニック 高橋 博樹

 

谷美智士先生がご逝去されて4カ月ほどになりますが、ご訃報を最初にお聞きした時、医学史に残る偉大な先生が亡くなられたと感じました。谷先生のご生涯を一言で申し上げるのは大変僭越ですが、あえていうならば、難病患者さんの治療法を見つけるためのご生涯だったのではないかと感じております。谷先生は、病院で亡くなられる直前まで本を調べながら治療方法の研究をしておられたそうで、恐らくご自分のためというよりも、使命を果たすためのご人生といった方が良いのではないかと思っております。

タニクリニックで勤務するようになってから7-8年が経過しましたが、ガンと自閉症などの難病の治療が谷先生のライフワークと感じる機会が多々ありました。谷先生のお母様はガンで亡くなられたそうで、ガン治療はそれ以来の谷先生の生涯の目標であったようです。また、自閉症の治療を開始されたのは、より最近のことですが、やはり治療にかかわる機会が偶然生じて、それ以来治療をするようになられたとのことです。このような難病は既に社会問題ともいえるものですが、谷先生はそれをご自分の責任であるかのように熱心に研究しておられました。特に、自閉症に関しては、患者さんご本人の将来と社会に与える影響を心配しておられて、今後も治療を続けてほしいと繰り返しおっしゃっておられました。

谷先生の治療方法は独特なもので、気を介して疾患の本質をとらえて、自然の素材を主体にして治療していくというものでした。西洋医学的には、なかなか理解されにくい面がありますが、詳細に調べてみますと、おそらく西洋医学的にもきわめて合理的に構成されている治療内容ではないかと思われます。直接、谷先生にご指導をいただける貴重な経験ができて、本当に幸運だったと思います。今後も、谷先生の残された偉大な遺産であるBAT(Bio-Active Therapy)を続けていきたいと考えております。

 

 

 

『不思議な電話』
下谷 武志

 

 もう十数年も前のこと。谷先生から電話がありました。内容は、君は生薬の原末を使うとき炒めたりして加熱処理しているか、というもの。なんのことだろうと思いましたが、どうも谷先生は虫卵などの異物が入っている可能性はないのか、それが気になるとのこと。当方はそんな可能性は考えたことはなかったので、炒めたりしたことはありません、と答えました。ちょっと不思議な内容の電話でした。しかし、これがその後の、谷先生の「お茶」の治療の始まりであったことをその時は知る由もありませんでした。そしてその後の展開は目を見張るものがありました。半年ほど薬剤部を付き合わせてかなりの実験をした後、実際のケースで結果を出し、そして製品化・体系化、この間2年ほど。ちょっと真似できないレベルでした。
 後から考えると、一体最初の電話の異物云々はただの言い訳であって、私に単にローストの効果を聞いてみたかっただけかもしれません。あるいは、本当に異物が気になっていて、たまたま結果としてローストの効果がわかったのかもしれません。アクシデンタルに発見したにせよ、偶然のひきの強さも谷先生の力量のうちのひとつでしょう。当方はそのように理解しております。
 今はあちらの世界で一休み、というところでしょうか。ご冥福をお祈りします。

 

 

 

『谷美智士先生へ』

山本 竜隆

 

谷美智士先生に初めてお会いしたのは、約20年前、私がまだ20代後半の時です。タニクリニックに就職するための面談をしていただき、その後、

副院長として勤務いたしました。これ以降、谷先生には、漢方をはじめ東洋医学全般、自由診療の事、運営におけるオリジナリティーの大切さなど、本当に幅広いことがらを実践的にご教授いただきました。これらは私の活動の基盤を創るうえで、極めて大きな刺激と後押しになっています。

谷先生、本当に有り難うございました。
思い出も、CT導入の時の事、皇族の方が来られた時の事、クリニックの香港旅行、タイやルーマニアのボランティア活動など…

書ききれないほどです。
また谷先生の謙虚さや心配り、また淡々と物事を進めていく実行力など、まだまだ見習わなければならないことが多々ありましたので、本当に、

残念でなりません。そして、この世から去ってしまったことが、未だ信じられない感じでいます。
東方医学や統合医療分野において、大きな可能性と実績を示された、谷先生に、敬意と感謝の気持ち、そしてお別れのご挨拶を兼ねて書かせて

いただきました。

 

 

 

『谷美智士理事長の特別講演「東方医学30年の歩み」を再読して永眠を悼む』
明治国際医療大学名誉 教授 北出 利勝

 

特別講演「東方医学30年の歩み」の講演と論文を想い出して谷美智士先生を忍んで感謝の短文を記す。
■鍼麻酔について
日本で初めて第1例目を実行された。「私が長崎大学にいるころから、このアイデアを持っておりました」という。「間中病院の当直の時、虫垂炎の小児(10歳)が来院した。夜中でしたけれども、間中喜雄先生を起して執刀した。患児は痛いと言わずに病室に歩いて行った」「他に犬を対象に鍼麻酔の実験をしたが、メスを入れても鳴かなくて、尻尾を振っている」
このような話は、北出自身も大阪医科大学病院麻酔科ペインクリニックに勤務していたとき、兵頭正義教授と共に同じような体験をしたので強く

印象に残りました。ひらめきを長崎大学医学部から持っておられたことと、わが国で初めて実施されたことは大変勇気のあることだと敬意を

表します。
■「氣」の活用
谷美智士先生が正面から取り組まれたのが「氣」の活用でした。気功師が中国から初めて、わが国に派遣されました。谷美智士先生の尽力で実現

しました。
小生が鍼灸医学の臨床研究の後半に据えたのが「氣」のテーマでした。自然の成り行きでした。研究成果は日本東方医学会で発表する機会が与えられました。谷美智士先生は盛んに質問をしてくださいました。以前は他の学会ではなぜか報告できる雰囲気ではなかったのです。
■おわりに
谷美智士先生と小生の年齢差は、ちょうど兄のような関係に日頃感じておりました。そのせいか、いつもfriendlyに接して下さったことを思い出し

ます。長い間、本当に有り難う御座いました。
(参考論文;第30回日本東方医学会講演;東方医学,29(1):23-36、2013)

 

 

 

『谷美智士先生を偲んで』
森 秀樹

 

 私は、平成18年4月から平成23年4月まで、タニクリニックに勤務させていただき、谷先生のもとで勉強させていただきました。谷先生は、癌治療、難病治療を専門とされており、漢方治療、鍼灸治療だけでなく、ハーブティ、食事療法などを組み合わせた独創的な治療をされていました。治療方法については、妥協することがなく、日々研究を重ねて改良に励み、一人でも多くの患者様を治したいという熱意を持って働かれていました。私の退職の際には、自分が世の中の役に立つと思ったことを、妥協せずに徹底的にやりなさいとアドバイスをいただきましたが、谷先生は、まさにそれを実践されていたのだと思います。私の在職中に、谷先生が過労のため体調をくずし、入院されたことがありましたが、かなり体調が悪いにもかかわらず、入院直前まで診療を続けられていました。患者様のために、いつも命がけで診療されていたのではないかと思います。谷先生は、ふだんはとても優しくて思いやりがあり、いつもユーモアを交えてお話になりました。西洋医学中心の時代に東洋医学を始め、日本東方医学会を設立し発展させてこられたのは、とても勇気がいることであり、大変なご苦労だったと思いますが、その頃の苦労話をする時も、ユーモアを交えて笑顔でお話になりました。無私の精神で、世の中のために理想に向かって突き進まれていたから、苦労話でも笑顔で話すことができたのではないかと思います。私が、谷先生のことを思うときには、なぜか無邪気な笑顔が思い出されます。私も、微力ながら、谷先生から教えていただいたことを肝に銘じ、世の中に貢献できるように努力していきたいと考えております。
谷先生に心から感謝し、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

『谷美智士先生を偲んで』

国際伝統医学理論研究所 森 和

 

私が初めて谷美智士先生にお会いしたのは、東京教育大学の助手時代でした。当時新進気鋭の漢方医として間中先生とご一緒に理療科研究所を訪問され、“鍼灸医学の科学科はどうあるべきか”というテーマに真剣に論議した記憶があります。
 その後、恩師・間中先生と共同で「東西融合医学」を提唱し日中学術交流を積極的に推進され、ご生涯を一貫して「生体活性療法(免疫衛気療法)」の確立とガン、エイズなどの難病患者の治療のため尽力をされました。
 谷美智士名誉会長は、未病を極めた現代における最高の“食医”であり、谷名誉会長が血のにじむような苦闘と努力研鑽の末にのこされた「生体活性療法BAT」は、普遍妥当性をもった東方医学療法として漢方医や中医医師に受け継がれ、今後、世界に広く普及するでしょう。
 谷美智士名誉会長のご冥福を心からお祈りいたします。

 

 

 

『治す〈気〉と、安らぎの〈気〉』
武蔵野大学非常勤講師

一般財団法人東方医療振興財団評議員 原山 建郎


まだ診療所が赤坂にあったころ、健康誌の取材で谷美智士先生に初めてお目にかかった。
爾来、三十数年の前半は雑誌の取材でお世話になり、後半は私自身が患者として診察を受ける身となった。今春急逝された名医、谷先生の脈診(診立て)を、自分のからだでリアルに体感することができた。それは谷先生が遺してくださった、最高の贈り物であった。
谷先生の遺徳を偲ぶよすがに、拙著『あきらめない!もうひとつの治療法』(厚生科学研究所、2007年)から「治す〈気〉と、安らぎの〈気〉」を紹介し、追悼の一文としたい。

「東洋医学の基本には〈気〉という考え方があります。(中略)長年それを診ていますと、すべての生物の〈気〉の動きがある程度わかるようになる。このごろ、治療に用いる植物の〈気〉、つまり治そうとする生薬の〈気〉がわかるようになってきました」
エイズの子どもを「脈診」すると、気が乱れている。その乱れを治すには、自然界にあって、治す〈気〉を発している植物を見つけなければならない。(中略)谷さんは忙しい診療の合間を縫って、東南アジアやチベット、遠くアフリカにまで足を伸ばし、新しい生薬を求める採取旅行をつづけている。(中略)ここまで10年以上かかったけれど、必死に生きようとするエイズの子どもたちから、病気はなぜ治るのか、その答えをいただいた、大きな収穫がありましたと、谷さんは微笑む。
「病気になったのだから、必ず治る道はあるはずです」
タニ・クリニックの待合室は、きょうも安らぎの〈気〉に満たされている。
(同書64~65ページ)

 

 

 

『谷先生の思い出』

鈴鹿医療科学大学鍼灸学部鍼灸学科 教授 佐々木 和郎


 谷先生は新しいことに積極的にチャレンジする先生でした。鍼灸の方では、1972年中国の鍼麻酔の報道をうけ、我が国で、いち早く鍼麻酔を鍼灸治療に導入した一人である。臨床応用としては鍼麻酔で使用された低周波鍼通電を各種痛みの治療に応用し治療を行った。市民公開講座では谷先生の歌声の良さに驚き、声楽を学んでいた事を後で知った。谷先生の著書をあらためて読んでみると、臨床の現場で理論を実践され、効果のあることを集約し書かれているので役に立つ情報がおおい。東洋医学の学術活動は知識と経験にもとずいた英知の客観化である。その功績を過去に引き継いでいくのは我々の勤めである。

 

 

 

『谷美智士先生を偲んで』

長瀬 眞彦

 

私を東方医学の世界に本格的に導いて下さったのは正しく谷先生です。
先生がお書きになられた「東洋医学と西洋医学 伝統と科学の結合が病気を治す」を読んで感銘を受け、先生にお手紙を出したところ、当時タニクリニックの副院長でいらした山本竜隆先生から、日本東方医学会への入会をお誘い頂きました。1998年頃の事です。そしてその後、山本先生の後任としてタニクリニックの副院長に就任するという幸運を得ました。その時のタニクリニックでの臨床経験は「東方医学ってこんなにも有効なんだ」という驚きとともに、その後の私の診療の規範となりました。その経験を通して東方医学診療における、非常に強い足腰を作って頂きました。感謝の念が耐えません。
お会いする時はいつも新たな事にチャレンジされており、お元気でいらしたので、谷先生が逝去されたことが未だに実感としてありません。
しかしながら事実は事実として受け止めて、谷先生に教えて頂いた数多くのうち三つの事を下記に記して、謹んで哀悼の意を表したいと思います。

・患者さんの脈をきちんと診る。
・ニュートラルな状態で診察しなければいけない。
・蒔いた種は必ず帰ってくる。(これは先生が恩師の間中喜雄先生に聞かれたということでした)

 

 

 

『谷美智士先生に出会えて』

マリーゴールドクリニック 山口 トキコ

 

私が谷先生のお名前を伺ったのは30年以上前、東京女子医大生の時で作家の遠藤周作先生からでした。当時、遠藤先生は西洋医学の枠を超えて活躍する新進気鋭の医師である谷先生と対談なさったそうで、ご自身や奥様も診察を受けられたと伺いました。それからまもなく大学で初めて漢方の授業が開講され、偶然にも谷先生の講義を拝聴することができました。聞く内容すべてが初めてのことばかりでしたが、生命力を蘇らせる医療があると感動したことを覚えています。その頃、私の母が乳癌の術後でしたが、谷先生の治療を受けて心身ともに穏やかな時間を過ごすことができたことに感謝しております。
外科医を選んだのは西洋医学の技術を利用して悪い部分は取り除き、あとは東洋医学によって免疫力を高めるという統合医療を目指したいという思いからでした。しかし西洋医学の現場での実践はなかなか難しいものでした。私が2000年に開業し、谷先生が考案されたBATを潰瘍性大腸炎の患者さんに行うことで、西洋医学と東洋医学を融合した治療効果を実感いたしました。
最後にお目にかかったのは昨年11月22日難病治療委員会でした。いつものように症例報告会を行い、谷先生が晩年力を入れておられた自閉症治療がTVで放映されるかもしれないと希望に満ちた話題も出ていました。
谷先生の偉大さは先生オリジナルの医療をゼロから作り上げたことだと思います。「気」を感じながら生み出される医療は誰にもまねできません。しかし誰でも使えるように後世に残していただいた医療は、あたかも谷先生のように深い愛情ある優しい治療でもあり、長年のご苦労と強い意志を感じずにはいられません。これを今後どうやって私達が継承していくのか時間をかけて考えていきたいと思います。
長い間ご指導賜り、本当にありがとうございました。
谷先生のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

『谷美智士先生を偲ぶ』
日本歯科東洋医学会 第二代会長
医療法人社団明徳会福岡歯科統合医療研究所所長 福岡 明

 

昭和47年頃から間中喜雄先生を中心として“医家のための鍼灸講座”という80時間講座が毎週土曜日に開かれた。当時中国のハリ麻酔が全身麻酔に

代わるような効力があると誤解されるほど、マスコミに仰々しく取り上げられていた。
古くから医師でありながら鍼灸研究に精進され諸外国にまで啓蒙活動をしておられた間中博士は、正しい鍼灸をと我々医家に呼びかけていた。
先輩の松平邦夫歯科医師から一緒にこのセミナーに出てみようと確か第2回から参加させて頂いた。
私も東京日本橋の下町の商家の倅だけに、鍼灸には治療だけでなく悪戯をするとお灸をすえられた経験から早速参加した。
当時は間中先生の他、初めてハリ麻酔による虫垂炎手術に成功した谷美智士博士と花田学園の沢津川正一教授を中心に著名鍼灸師が熱心に講師を努めて下さった。一定の研修を終えこのままでは勿体ないと、間中先生の魅力に完全に洗脳された医師たちが卒後研究会という意味からMSA(Medical Study of Acupuncture)会と言う勉強会を作った。その折の世話役として、谷先生・沢津川先生を中心に、歯科から松平邦夫先生と私が選ばれたのが谷先生と親しくお付き合いをする端緒となった。
そんなことから“Acu-Journal”という機関紙まで発行し、谷先生を中心に私がお手伝いをすることになり、毎月青山の飲食店で原稿の整理に当たっていた。当時新婚時代(?)と思わせる美しい令夫人を伴い、我が家にも訪ねて原稿整理に当たったこともある。
何回か会を重ねるうち、医科と歯科の特殊性からまた会員数の増加から夫々の特徴を活かして二集団に分けようと言うことになり、1973年間中先生の下に、医師は谷美智士先生を中心に日本東方医学会を、また歯科から松平邦夫先生と私が中心となって同志を募り、日本歯科東洋医学会を設立した。勿論間中哲学はキッチリ根底にあってである。
日本東方医学会第二回例会には私も“鍼治療の歯科臨床への応用”と題して特別講演もさせていただいた。
また中国から国賓待遇として谷先生を団長として12名の医師、歯科医師が選ばれ私もその一員として参加。北京飯店に宿を取り、一週間缶詰同様のスケジュールの中で、中国のハリ麻酔を執刀医の傍で如実に見学させられた。
その時は脳腫瘍と肺癌の2症例であり、当日は夜中の12時まで。執刀した西洋医との対談でクタクタであった。英語の堪能でない私など適当な英単語を並べジェスチャーで対話した。今でも恥ずかしい想い出である。
其の後、私も歯科の学会などで忙しくなり、年齢を重ね日本東方医学会を退会、現在愚息博史歯科医師が跡を継いで会員となり、研究にいそしんでいる。
あの谷美智士先生の凛とした中にも優しい笑顔が、来春卆寿を迎える老歯科医の私の瞼から消えない。

学会誌を拝読できるのがせめてもの慰めである。
心からご冥福を祈ってやまない。