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間中喜雄先生について / 初代 日本東方医学会会長 - 一般財団法人 東方医療振興財団 日本東方医学会

間中喜雄先生について / 日本東方医学会創設者 初代会長

間中喜雄先生について                                                                               

 間中先生は明治44年4月23日神奈川県小田原市に生まれた。

 青少年期から天才のほまれ高く、刻苦努力の上にいつも温かい人情が豊かに、

 気宇壮大で朗々を呼び幽玄を洞察する眼光は生涯かわらなかった。まことにまれなひとである。  

 京都帝国大学医学部卒業後、満州沖縄の軍務と終戰の後、 郷里で間中外科医院(明治39年.初代間中直七朗)を継がれ、

 間中病院を開設される(後に特定医療法人温知会に改組)。  

 この間、小田原市教育委員会員、小田原市医師会長となる。 外科学界でもすぐれた名手であった。  

 昭和25年日本東洋医学会設立に参加された以後、東洋医学発展の為に全力をつくされた。  

 東洋針灸専門学校長、北里研究所東洋医学研究所客員部長となり永年にわたって国内はもとよりの学会頭であったが(昭和56年)、

 国際的には東洋医学関係学会(フランス、ドイツ、オランダ、中国、台湾、韓国、香港、スペイン、アメリカ、カナダ、南米等)に

 日本を代表して思い起こせない程に数多く、二十数回もその国の言葉で講演を行う驚異的な努力と才能であった。

 日本医師会最高優功賞、神奈川県医師会衛生功労賞、小田原市功労賞を相ついで受ける。  

 世界医学気功学会(北京)で副首席となる。(1989年) 特記すべきは 東洋医学を 現代の科学の進歩発展途上に創造的にとらえ

 おのずから東洋医学と西洋医学の結合を情報医学として予見された (トポロジ-医学,人体X信号系.易経と DNA 構造の相似性等)。

 日本の「間中」ではなく世界の「マナカ」として有名であったが、 学問の世界だけではなく文章、絵画、彫刻、語学の面に於いても

 その特異的な智能のスバラシサには驚く許りである。  

 永年精力的な使命感に充ちた活動を休みなく続けられる中にも、この十数年間の日々は医師として みずからの肝癌と対決し.

 先生のかねて研究される ”気”によって肝癌を超克される輝かしい貴とい毎日であった。

 平成元年11月20日享年78才で、わずか2日間の自らの入院で大往生された。

 特定医療法人 温知会 間中病院 ( 小田原市 本町) は 間中喜雄先生が先々代の 間中直七郎先生(明治13年生,大正2年.間中外科病院)の

 あとを継ぎ現在の間中病院の前身を築かれた。 只今は、理事長を長男の間中純也氏が東大外科から帰りつがれ.

 御次男信也氏は帝京大学脳外科教授から当院長になられた。 最先端医療に東洋医学的視点を加えられ.

 間中節子氏 ( 純也氏夫人)は聖心女子大から東大保健学科に学士入学されて 看護師.保健師.検査技師の資格をとり

 現代の医療.介護.看護.福祉等と複雑な医業経営の中心で事務局長として活動されておられる。

 御三男の 松岡賢也氏は父君喜雄氏の母校京都大医を出られ父君のユニ-ク なオリジナリテをつぎ

 靜岡市八千代町 にて開業され東洋医学の新境地をひらいておられる。

 

 松岡伯靑先生 1990年執筆記事より

 

 

 

「間中喜雄先生 追想集」(「東方医学」Vol6 No.1 1990より)

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間中賞の歴代受賞者1986年~2008年(第1回~第22回)

 「間中賞」とは、『医道の日本』誌が、1986年から2008年まで、「鍼灸医学の発展に寄与する独創的な論文や著作、活動」 に対して、毎年
 表彰したものである。間中先生は第4回までご存命であり、間中先生亡き後は鍼灸界の著名人や、高弟であった吉元昭治先生が中心となって
 間中賞選考委員会を設置し、第22回まで行われた。      

List of Manaka Prize winners1986 2008 20240313